2010/02/15

2010.2.13 第2回JPIC学術講演会(神戸)にディスカッサントとして参加してきました。

私は「アウトブレイクから学ぶ」のセッションのメンバーでした。

はじめに2つの事例を当該病院の先生にご紹介いただきましたが、いずれの事例でもその中ででてくるひとつひとつの事柄に重みというか奥深い意味があるということを、過去から今に至るまでの自分とその周りの経験から深く感じながら聴きました。

アウトブレイクでは考えられる様々な要因への対策を速やかに、同時に進めなければなりません。それを十分わかっているつもりでいながら、一方で「どうしてこんなことになってしまったんだ」と苦悩する当事者達には、「どこか(の一点)に原因があったんじゃないのか」という本能的な疑問が沸いてくるものだと思います。でも本質はそうではないということをスイスチーズモデルは意味しています。どれか特定の一枚の穴が大きかったことが原因と思い込むことは心の平静を取り戻すには有効かもしれませんが、対策を見誤る(あるいは再発する)危険がとても大きい。ある特定の医療処置が危険因子の一つとして挙げられるとそれがスケープゴートになってしまうのはマスコミの悪影響の一つでしょう。素人はそう思ってもしかたないですが、プロがそれくらいの視野しか持ってなかったらちょっとアウトですね。

例えば「そうか、器具の洗浄・管理方法がわるかったんだ」と思うのは簡単だし、こころの平静も得やすいです。しかし、その器具をよく使う医療者(の手指衛生)に問題はあったのかもしれない。そもそも、だからこそその器具にその菌が最初に付くことになったのかもしれない。さらにいうとある処置が有意だったといってもそれのみが唯一の有意因子というケース自体まれですし(少ない因子のみの解析だったらわかりませんが)、統計解析で有意でなかった=無関係だったということでもありません。

しかし、ここは実際には学術的にはなかなか難しい問題です。アウトブレイクが起こった時に「ピンポイントの対策のみで他は何もしない」という選択肢は現実的にあり得ないからです。アウトブレイクの終息のために行ったことはおそらくすべて有効だった(一枚一枚のチーズの穴を塞いだ)のでしょう。思い切って行った特異的な一つが含まれていたら英断を下した当事者はその一つが特別有効だったと思いたくなるのは自然な心理ですが、本当にそう思い込んでしまってはやはりプロ的視野を持っているとは思えません。いろいろな対策を包括的に進めることができたということ自体が、チームにとって、病院にとって最も大きなことです。

とはいえ、人前で話すときには目を引くようなことを言わざるを得ないというプラクティカルな事情があるのもよくわかりますけどね。しかし、なぜ、どんなきっかけで包括的に対応できたのか、何が対策の障壁だったかというようなことを(通常わかっていてできないことなので)、泥臭い人間関係みたいなところまで含めて掘り下げて話した方が普遍性があるかなと、次、自分の話す機会があったら考えてみようかなと思ってます。

まったくの余談ですが、アウトブレイクの終息というときに、「収束」が使われてるところを目にしますが、まったく合ってないと思います。収束ってのはばらばらだったものがひとつにまとまるっていう意味ですからね。確かに、ある意味ばらばらだったものがまとまるわけですけど、それはアウトブレイクが、ではないですな。


場所は、ホテル北野プラザ六甲荘。ゆっくり一泊したくなるお上品なホテルでした。来年第3回は同じ時期に名古屋駅のマリオットで、だそうです。