2010/05/30

2010.5.26 外勤先の病院で行った研修医向けのセミナー、そして、2010.6.30 の横浜の"熱病"講演会の案内、他。

4月から隔週で非常勤感染症科医として働いている大阪の病院で、研修医向けのセミナーの第1回を行いました。「感染症診療の基本」というタイトルで、感染症の患者に対してなにをどう考え、チェックしていけば適切に診療をすすめられるのかという内容を簡潔にまとめて話してみました。

2010.6.30は横浜へSanford guideの活用法について講演に行ってきます。昨年も7月にお邪魔した勉強会です。先日案内が届きました(一部を切り取り)。

私もSanford guideは研修医の頃持っていましたが、ほぼ開かないままでした。なぜそうなったか、今ではよくわかります。それを振り返って、Sanford guideを使うため、使えるためにはどういったことが必要か、という話です。

抗菌薬は感染症科医でないと使えないような怖い薬ではありませんが、そのことと、感染症診療が難しいか簡単かは全く別の問題です。感染症診療は特別難しくはありませんが、特別簡単でもありません。他の診療科とおなじくらいだと思います。感染症は簡単なはず、だから簡単に治療の選べるSanford guideがあるとめっちゃ便利なはず!と思っていたら大間違い、というわけです。くりかえしますが、感染症は簡単ではありません。が、特別難しくもありません。だから、他の診療ができている医師にとって、感染症だけはわからんということは、感染症をよほど軽くみていないかぎり、ないはずだと思います。

この大阪の病院でのセミナー後「重症度が大事だというのはよくわかりました。じゃ、先生はsevere sepsisの時はどの抗菌薬を投与しますか?」と質問され、さすがにちょっとあっけにとられてしまいました。これって「癌だとしたらどの抗癌剤を投与しますか?」っていう質問とおなじなので。このこととSanford guideを持っていても使えないことの背景はぴったりおなじものだと思います。そのへんを意識しながらお話しできたら、と考えています。

優秀な医師ってどういうことだろうかと考えることがあります。子供のようにひたむきに、何とかの一つ覚えのように丁寧に、いつでも問診、診察、検査のひとつひとつを、要領よく省略しようと思わずにこなしていく、そのことの大切さを理解してそうありつづけることのできる、そんな医師がそうなれるのだろうと思います。

同じ内容のSanford guide "熱病"の講演会は昨年に引き続き、大学でも夏に行う予定です。めだった変更点は今年の版にはないようです。でもそれは特殊な抗菌薬や標準治療を変えるほどの研究成果が毎年でるわけではないですから当たり前ですね。とにかくせっかく持っているSanford guideをもっと使ってほしい、というか、使えるような診療ができるようになってほしいと思っています。売ってるの買うと結構いい値しますしね。

2010/05/25

2010.5.21 結核病学会(京都)に参加してきました。

結核の分子疫学の口演セッションの座長をしてきました。学会では時間が押してしまうことが多いですが、それなりに質疑も出たわりに時間もぴったりで終了でき、ほっとしました。

内容はというと、遺伝子タイピングの演題が4題続くセッションでした。結核はヒト=ヒト感染しか起こらないこと、感染しても発症するのは1割程度に過ぎないこと、発症までの潜伏期間は数ヶ月~数十年と幅が大きいこと、がわかっています。タイピングからは、どのような研究でも限られた数の株しか検討できないことから受ける制限のもとに、これらから想定される事象が実際に起こっているということが確認された、という以上の知見はどこにもないというのが正直な印象です。

多数株を含むないし他地域にまたがるクラスターの存在はもともと当然想定されることです。たとえると、インフルエンザで学級閉鎖が相次ぐほど多数がやられた学校が京都にあったことと家族が複数やられた家庭が京都と東京にあったことが発見された、と言っているのと同じことだからです。それが細菌学的要因によるものか社会的要因によるものかはわからないが菌の特性を示している可能性があるから今後も続けていきたい、という結びもよく考えると理解しがたいところです。学級閉鎖多発にいたったインフルエンザ株は変異によって感染性が高くなった株だと言えるのでしょうか?可能性はあるでしょうが、普通の感覚ではそうとは言えない、あるいは株のタイピングからはそれはわからないでしょうね。解析株数が増えていくことで結果がどう質的に変わると予測しているのか、人の行き交う現代社会で社会的要因はどこまで掘り下げることができて、どこまですることにその労に見合うだけの効果があるか、という本質的な議論を少しでもしたかったのですが、それができなかったのは少し残念でした。会場外で演者のお一人と突っ込んだ議論ができたのはよかったですが。

結核に限らず様々な病原体で遺伝子タイピングがなされています。タイピングで今までは推定だけで見えなかったことが具体的に見えるようになるということは知的にエキサイティングではあるでしょうが、我々医療者はタイピングの結果でどのようにその感染症への対峙の仕方が変わるのか、そう変えることがその感染症への医療を本当によくするものなのかをもっと追求し、その上でタイピングの意義がどこにあるのかを問い直していかねばならないのだと思います。

2010/05/17

2010.5.14 釧路ICTセミナーで話してきました。あと、2010.6月の予定など。

案内
今回いつもより強調した点は、数値化することの意義、です。自分の講演を振り返って、特徴の一つは自分たちの集計した値を重視し、それを根拠にして(もちろんすべてではありませんが)話を作っているということだと思ったことがいくつかある理由のひとつです。値そのものもそうですが、自分たちの値が欧米や国内の他の病院と比べてどうなのか、有意差があるのかないのかなどということはポイントでも何でもなく、すべての実践を自分たちの現状を自ら把握するところからスタートさせる、という点こそが普遍的に重要なポイントだと思います。

何をどうやって集計するのか?という質問を受けましたが、私が話しているもの(話に使えると思うもの)はすべて日常の実践のなかで必要に感じて集計をとったものばかりです。自分が思うような方向に何か物事を改善させたい時、必要なのは改善させたいという熱意だけではありません。変えようとしているものが自分自身ではないからです。なぜ変えなければならないのか、どこがどう変えなければならないような現状なのかを、変わってもらいたい人に納得してもらえなければしかたありません。さらに、自分のやってることがうまく伝わって変わっていっているのか、それともやってることはムダなのかを自分で知らなければなりません。思ったように変わったことを単に喜びたいという気持ちも正直ありますが、でも主な目的はあと二つあって、その一つは、このやり方がうまくいくようだと同じ問題をかかえる人に伝えられるかどうかを確かめたいということ。もう一つは、もしうまくいっていなければやり方を変えるかその問題を一時放っておくかしなければならないということです。やりたいこと、やらなければならないことはいつでもできることよりたくさんあります。一方、限られた貴重な時間をつぎ込む労力の割に成果のなさそうなことに少なくとも同じやり方のまま費やすことはできません。医療に関わっている以上、ほとんどの実践は時間も含めて常に自分自身のためのものではないからです。

そんなことを最後に補足的に説明できたことで、全体としてのメッセージという「画像」を「自動レベル調整」できたようなすっきりした気分を感じました。

釧路は最高気温10℃!と聞いてビビってましたが、2日間とも比較的穏やかで気持ちよかったです。帰りにほんの少しですが時間が空いたので、こちらのICTの方に教えていただいた空港そばの丹頂鶴自然公園に立ち寄りました。生まれたばかりの雛鳥のケージに群がるエゴイズム丸出しのカメラマン達と、人少ない他のケージにいた鶴の面白い動きをじっくりと観察することができました。まあ、どちらかと言うと、こちらの人にとってはなんてことないらしい道東の遅い春の光景、とくに独特な山や木々の色合いがとっても新鮮で印象深く残ってます。

5月はまだ半分ですが、あと講演等の予定は外勤先での研修医向け講習がひとつとレジ感のコメンテータを残すのみになりました。6月は、学会関係のセミナー二つとシンポジウム一つがあって長崎と札幌へ、他には、細菌遺伝子タイピングの研究会(大阪)と国立大学病院感染対策協議会のブロック研修(津)での口演が各一つ、個人の講演としては10日に千葉県は木更津へ。あと、保健学科の講義もどっかに入ってましたな。あと、横浜にサンフォードガイドの話をしに行くかも。こう列挙すると今から疲れた気分になっちゃいますが、まあ、このようないろいろな機会をいただけるのはありがたいことです。

2010/05/12

2010.5.11 院内感染対策講習会でちょいと話しました。

今年度初回の院内感染対策講習会でした。
ボスがたくさん話したあとの付録みたいなかたちで、テーマは「当院における感染制御部の感染症診療への介入について」でした。新規入職者や新たに担当になった方もいるだろうから、半分は顔見せの意味ということで。


以前のスイッチのスライドを今回はチーズのに変えました。
どっちがわかりやすいんでしょうね。自分では判りません。些細なことの積み重ねが大きな効果を生むというポジディブな意味はこっちのスライドの方が感じやすいかもしれない気がしますが、単に使って話す自分が勝手にそんなノリになってるだけかもしれないです。


会場は立ち見がでるほどの盛況でうれしい限りでした。ありがたいことです。案内に私が話すことまで載っていたらもっと大喜びだったでしょうけど。