2010/06/29

2010.6.24 感染管理ブロック別研修会 (三重) で話してきました。

梅雨の合間の天気のいい日。津まで行ってきました。

国立大学病院感染対策協議会の近畿・北陸・東海ブロックの研修会。抗菌薬適正使用に向けた取り組み、というテーマで、医師の立場からということでご依頼いただきましたので。

正直言うと抗菌薬適正使用という言葉にはいつも違和感がつきまといます。適正診療といったキャッチフレーズはないですし(当たり前すぎて)、すべて医療に患者を救う以外の目的があるかと思うからです。確かに感染症・抗菌薬にはやや特殊な事情がありますが、結局は患者を救うということ全てを研ぎ澄まして追求すること、それだけです。

目の前の患者を全力で救うのが医師の役目だ、そのために少しでもいいと思えることなら、根拠があろうがなかろうが可能性がわずかでもあるのならそうしよう、それが目の前の患者に最善を尽くすということだ、という主張にはそれなりの道理があります。聞こえのよいわかりやすい主張ではあるのですが、そこにはそれなりの道理しかなく、自らのおかれた現状の客観的な把握、患者を救うことへの本当の追求、医療を担うプロフェッショナルな意識はごく表面的にしか感じられません。感染症を専門としない人なら理解もできますが、専門家を名乗る人がこのような主張にカタルシスを得ているのを目にするのは少々暗い気持ちになります。専門家と云われている自分の話していることがどのような影響を及ぼすのかという点へのイマジネーションがいまひとつなことがさらに気持ちを暗くします。

ま、実際は、私が今の部門に入ってからこの感染制御部がどのように歩んできたかということを振り返ってみて、そして今後もこの方向で進んでいくのがいいだろうということを再認識した、適正使用はその結果ついてくるものじゃないか、というようなことを元気よく(?)主張して話を終えました。

そのセッションが終わって感じたことは、このような話は今まさに始動してあれこれ工夫している、というような実践報告の方が多くの大学の担当者を(演者自身をも)奮起させるんじゃないか、ということでした。私自身、人前で話しをするようになってモチベーションは随分変わってきたと思いますから。これってちょっとエラそうな感想なんでしょうか。

帰りの新幹線はなんと痛恨の乗り過ごし。新大阪止まりでほんとよかったです。きびだんご食べ損ないましたけど。

2010/06/22

2010.6.12 内科学会近畿地方会で座長を、6.19細菌タイピング研究会で発表をしました。

6.12は大学で内科学会近畿地方会の感染症2のセッションの座長をしてきました。このセッションは興味深い症例報告が続きました。

MSMの人のSTDの例はとても興味深い症例で、自分達の部署で昼のセミナーで輪読しているNew England Journal of MedicineのMGH case conferenceにて最近取り上げられていた症例と偶然にも全く同じ診断でした。鑑別診断にこれが挙がるかどうかは何よりイマジネーションが必要なんだろうなと思う反面、当然の知識としてもっておくことこそが必要ということかとも思いました。イマジネーションのない人だと知識が身につきにくいといったところがオチとして妥当なラインかもしれませんね。

前のセッション(感染症1)から聞いていたのですが、仕事柄からか抗菌薬の使い方がとても気になり、口を挟まざるを得ない気持ちになって質問として指摘してしまったような演題もありました。でも演者の方はよく判っていない表情で、正しい診断を意識せずに治療しているために良くなったケースでも何がどうよかったから改善したのかを理解できていないようでした。言ってよかったのか焼け石に水だったのか結局わからず、もやもやが残ってしまいました。

私の座長は35分くらい遅れて始まりました。係の人に「30分以上遅れていますので御配慮の程お願いします」とのメモ紙をもらい座長席に付きましたが、まったくもって何を配慮したらいいのやらって感じです。口演6分、質疑応答2分で7演題。1題あたり1分短く終わっても7分しか早く終わりません。口演を5分30秒より早く終わる演者はまずいません(むしろ半数以上が6分を越える)し、1分短縮も現実的にはムリ。結局巻きながら予定時間通りに終わるのが精一杯でした。係の人のメモも「これ以上遅らせないでください」という意味なんでしょうね。そりゃわかってるけど。でもこれくらい遅れるのは必然ですわな。プログラムは1題6+2の8分で終わり、演題間はもちろんセッション間にも1分の時間もとってないんだから。乗り換え時間ない旅程立ててるようなものです。今はPCでのプレゼンばかりになり、枚数制限がありません。それも口演時間がいたずらに長くなりやすくなる傾向に拍車をかけているのかもしれません。

もし私がプログラムを立てられる立場になったなら、.
1. 症例報告的な演題のセッションは最短3分/題まで短縮する.
2. その一方、質疑応答は最低3分はとる.
3. 質問者はあらかじめマイクの前に出てくるように促す.
4. セッション間に5分程度は余裕をつくる.
という形にしたいと思います。なんか政権公約みたいですけど。

もしかしたら1が抵抗をもたれるところかもしれませんが、私は症例カンファにしろ口演にしろ、伝えたいことを伝えるという目的を達成するために、30分と言われたら30分、5分なら5分、1分なら1分で話せるように優先順位やポイントを整理しておこう、と人にも言いますし自分でもそう思っています。自分の講演はどうやねんと指摘されると冷や汗ですが、少なくとも次が控えているときは最低限のノルマと思って、そこはなんとか守っています。


6.19は大阪で第2回細菌タイピング研究会。前日の東京出張から新幹線で直接会場ホテルへ向かいました。

私は京都のVREについて話しました。結核病学会の感想でも書きましたが、最近、タイピングの真の意義はどこにあるのかという根源的な点が考えれば考えるほど解らなくなります。接触感染、院内感染予防策の不十分さによって拡がるという20年は前から証明されていることをあの手この手で再証明しているだけではないかと思うからです。想定外の感染経路が発覚するかもしれない、その時にその証明手段になりうるというのはわかります。でもそのような経路を仮定するのはタイピングからか?と思いますし、そのようなおそらく稀なときのために常時からタイピングをすべきなのかも疑問に思います。我々は感染経路も対策手段ももうすでに知っているからです。タイピングの結果を見てやっぱり院内伝播だったか、接触感染だったか、器材消毒不徹底だったか、といった想定内の現象を目の当たりにし、あたかも"腑に落ちる"こと自体が目的になっていないかと不思議に感じます。必要なことは如何にすればその対策のレベルが向上するかであり、そこにタイピングが不可欠であるという真の理由がどこにあるのかわからずにあれこれ考えを巡らせています。知っている対策手段を厳重にとってみてもなお感染伝播が収まらない時に想定外の経路を仮定しなければならない、そのような場合にそれを検証するための手段にタイピングがある、しかしそれ以上にはないのではないかということが今の私の考えです。仮定そのものがタイピング結果から生まれる期待はゼロではないにせよ極めて低いでしょうし。

というようなことを講演をしていた会社のプロマネの方につたない英語で議論をふっかけたまではよかったのですが、真意を十分に伝えられずに大いに苦労してしまいました。先方はタイピングが有用であった事例を2,3挙げて説得しようとしてきましたが、ひとつでもあるから有用というのはロジカルではありませんね。しかし米国では科学的とは思えないほどの合理主義に基づいた方針でタイピングが必要な状況になっているようではあります。オランダでは国家としての対策強化を追求した探索研究として実施しているようでもあります。これらは私の疑問に思っていることの答えではありませんが、しかし、米国でよく行われるように、手をこまねいて進まないよりは思い切って割り切って突き進んでみて問題点を改めて探すというやり方も確かにありかもしれないなと、プロカルシトニンの時に感じたようなことをふと思いました。また、"腑に落ちる"こと自体が実は対策にとってとても大きなことかもしれないという気もすることはします。そこまで割り切れればまた話は別です。しかし、目的がそこにあるなら本当にそれが効果的であるかをやはり科学的に検証するのが真っ当な方向性だろうと思っています。

2010/06/13

2010.6.10 君津木更津地区 感染症セミナーで話してきました。

タイトル、内容ともに先月の釧路での講演とほぼ同じものにしました。このような時は話し方が少しなめらかになっているような気がします。

私の講演は概ね、診断、治療、予防の間の密接な結びつき合い(これが感染症ならではだと思います)を理解してもらうように意識した展開で講演をつくっています。そして、それらを改善、向上させるには自らの今の状況を把握しなければならない、それが数値化する意義、サーベイランスの目的であるということをバックグラウンドに流しているようなつもりで話をしています。

現場にはいろいろな問題が潜んでいますが、どのような種類の問題であっても、これらをいい方に向けるにはまず、可能な限りその問題の本質を掘り下げて考え、漠然とした問題をより具体的かつ特異的な問題に置き換えていく作業が必要です。これが具体的な行動目標の設定につながります。診療上その根源は診断の不足にあると感じるところが大きく、そのため講演の中で血液培養の重要性を結果として強調することになっています。血培をとるようにすることだけで解決できる問題は大きくはないのですが、そのことが診断への追求度の指標になることは間違いないと思うからです。

そしてどの病院に行ってもいろいろな問題に取り組むICT担当の方の使命感はひしひしと感じることができます。その力をひとつでもふたつでも小さなものでもいい、何か具体的な指標がいい方向に「変わる」という実感にもっていってもらいたい、その変化が現場の意識までをも変えていく原動力になるのだろうと思います。そして次にお会いしたときにそのようなお話を伺うことができればといつも願っています。

講演終了後は海ほたるを渡って品川のホテルに泊まりました。始発で出なければならなかったので早起きすると、窓からの東京の朝焼けはきれいですがすがしく、ほんのちょっとだけですがまだ人気のないホテルの周囲を歩きました。大都会でも人の少ない時と場所の雰囲気は好きなんですよね。

2010/06/08

第58回日本化学療法学会総会(長崎)でセミナーとシンポジウムをやってきました。

6.2は抗菌薬適正使用生涯教育セミナーのケーススタディのコメンテータをしました。ウイルス感染症がテーマというこのセミナーシリーズでは初の試みで、講師の先生方はどのレベルに合わせて話をしたものか、かなり苦慮された様子で、自分も聴きながら確かに難しいところだなと思いました。自分自身のケーススタディのコメントも含め、苦慮したものの結果として虻蜂取らずになってしまっていたような気がしました。企画会議のとき、各回のセミナーのレベルをBASICとADVANCEDに分けようということになり、今回はADVANCEDの設定でしたので、最初から開き直っておもいきりADVANCEDな内容にしてしまってもよかったのかもしれません。このあたりは難しいところなんだと感じてもらうのも生涯教育という大きな意味では大切なことだと思いますし。参加者は立場、職場が異なるわけですから誰もが同じレベルに到達することはそもそも無理な話です(例えば私でいえば、お恥ずかしながらHIVの細かいことはよくわかりませんし)。こういうケースがある、その時は自分のとこではここまでにしておいて、このような施設の医師に相談ないし紹介するべきなのだというようなことを知るのも大切だと思います。来月会議がありますので議論になるでしょうが、恐る恐るながら楽しみでもあります。

しかし、レジ感でもそうですけど、このような会で司会やコメンテータをするのは自分にとってすごくいい勉強になります。ポイントはどこにあるかを立場上前のめりで聴きながら考えていると、ケースの背景から感じられる普遍的な教訓が目の前に現れてくる、そんな感覚にとてもエキサイトする、というようなことがあるからです。実はこのセミナーのケーススタディは3回目なのですが、なんだか自分ばっかしやってていいのかなと少し申し訳ない気分にもなったりしてます。

6.4は「抗MRSA薬のTDMの標準化に向けて」というシンポジウムで、バンコマイシンのTDM標準化について話しました。気持ちとしては同薬にかぎったことではなく、ある薬にとって最も効果的な使用法は何か、そしてそれを標準法とすることがいかに大切かという普遍的な命題に対して、バンコマイシンを例にとって話したという感じです。標準があって応用(個別化)がある訳なので、まず土台と1階をしっかり建てよう、そうでないといつまでも2階はできないだろう、というところです。同薬はもっともデータの蓄積のある薬剤なのですが、それでもまだ各論的にはよくわからないところがたくさんあるものだと思いました。使用経験もTDM実績も豊富な薬なんですから、後ろ向き症例調査をやろうとすれば大きなNの研究ができるはずです。そう発言もしましたが、是非とも進めていきたいと思います。

また、感染症に限らず、診断と治療は密接な関係にあります。治療が先行することの多い感染症では、治療から診断へと向かう状況もたくさんあるわけで、そこで治療に不備があると診断がさらに遅れる危険が高まります。バンコマイシンでいうと、血中濃度を意識せずに治療が有効・無効と考えてもミスにつながりますし、目標濃度に到達したにもかかわらず効果がないということの意味に気づけなければ次の一手をミスったり遅れたりする危険性がでてきます。というようなことも話の中で触れることができてよかったです。このような認識はβラクタムを1日2回投与でどこが悪いの?と本気で考えている人ばかりだと理解されにくかったでしょうね。いろいろなことは互いにリンクしながら動いていくものだなと、そしてそのような動きのある時期にこの領域に関わることができて幸運だなと思っています。

今回、中日に時間があったのでほんのすこしだけですが観光しました。天気がよかったのもあって新緑と青い空と海がまばゆく、気持ちよいひとときを過ごすことができました。平日の昼間の人の少ない時にそういうところに行けるってのは実に贅沢ですな。