2010/03/23

2010.3.19 京滋薬剤耐性菌サーベイランス研究会で少し話しました。

この会は2002年からやっている、京滋地区の大きめの病院の細菌検査室での耐性菌検出状況を確認していこうという会で、感染症治療におけるいわゆるローカルファクターの病院版のひとつ上のレベルとしての地域版を知ろうというものです。私は世話人をしており、2010年度以降のサーベイランスの方針と新規項目についてちょこっと話しました。出だしプロジェクタの調子がわるく少し焦りました。

今日の最善は明日の最善ではない(誰かの言葉)

医療において一般的には創薬や技術の進歩によってそうゆうことになるわけですが、感染症においてはエコロジーの変化がそうさせます。地球の温度がコンマ何度上がったからエネルギー政策をこうしなければならない、と言うのと同じレベルで、AmpC型耐性の大腸菌がどれだけいるかを知らなければならない、でも知るだけでは何にもならなくて、それによって何が最善かを見直し、かつ実践し続けていかなければならない。しんどいことですが、そんな今日の最善がまたエコロジーを変化させ、その変化は創薬と同じくらいにより多くの患者の救命をもたらすことができる、そんな明日の最善を目指して。感染症ってそんな病気ですからね。

会場でのお弁当はマジックカットで留められていました。私は材料など印字してるシールをちぎって留めましたが、食べたあとふたを留めにくいのはマジックカットのわかりやすい残念な点ですね。登場してもうしばらく経ってるわけなので、ここは弁当屋というよりマジックカット製造会社がそこまで気を配ってほしいです。単なる真新しさでも製造者の都合のためでもなく、利用者の便利を追求してるのだってことが伝わらなかったらせっかくの技術がもったいないですし。

2010/03/19

2010.3.18 神戸感染症フォーラムで話してきました。

タイトルは「深在性カンジダ症の制御にむけて~最善を尽くすとは何か~」
カンジダ症は大学院生時代にとり組んだ、私にとって原点ともいえる感慨深いテーマです。このテーマで話しするのはすこし久しぶりだったので軽く緊張しました。

難しいのは、カンジダ症をはじめとする真菌感染症は細菌感染症に対する診療をうまく行えていないとうまく対処できないということです。これはいつも強調していることですが、真菌感染症の中で深在性カンジダ症は非特異的な危険因子をもつ患者群に発症するのでその意識が不足すると(そういうことが多いので)診断・治療が遅れがちです。そういう意味で真菌感染症の診療は細菌感染症診療の応用編みたいなところがあると思います。

最善を尽くすとは、というサブタイトルの意味したかったところはダイレクトにはあまり説明できなかったかもしれません。
経過が思わしくないとき、予後の悪い病態に対峙するとき医師は往々にして自分の診断能を棚に上げて薬剤のせい、耐性菌のせい、患者の"免疫能"のせいにしがちですが、実際はそういうときこそ診断を追求することが最優先の命題であるということがその意味するところのひとつです。

もう一つは、そのような意識の不足を補うためには診療医に対してストレートに教育・啓蒙することにとどまらず、それにプラスして、それをサポートするような体制をつくるという方策が有効だろうということ。これは自分の立場あるいは自分達の病院での成果からとくに強くそう思うのかもしれません。そして感染症診療一般に言えることですが、様々な不足のある現実を理解すれば、それをいろいろな立場の医療者が限られた自分の範疇の中であっても少しずつ補っていくことはできるだろう、そしてその総和として「病院」として感染症診療のレベルを上げていく、それを目指すべきだろうと。スポーツでもなんでもそうでしょうけど、ここぞというときに力を発揮できるかは、普段普通にできるはずの普通のことの確実性を高く保てているかに依存すると思うからです。
そういう意味で、カンジダの話をしながらも実はカンジダとは必ずしも関係のないこのようなメッセージを背景に流したくて、それがサブタイトルの問いかけるところ、というわけでした。

なつかしのポートアイラインドで、始まるまでは気持ちも高ぶっていたのですが、よく言うとそれゆえに、内実は単にこのところの寝不足がたたって、話が終わった後はねむねむでうとうとでした。いけませんね。

2010/03/12

2010.3.11 院内感染対策講習会(大阪、住友病院)にて話してきました。

タイトルは「院内感染予防策と抗菌薬適正使用の結びつき〜不都合な真実を見る目〜」

内容は、いつも通りです。って書いてしまうとこれから先もずっとそうなってしまいますが。それでも話をした後に残る思いは毎回少しずつ違います。

今回終了後に思ったこと。
講演中にも口にしましたが、楽天の野村前監督の言葉に「(勝ちに不思議の勝ちあり、)負けに不思議の負けなし」というのがあるそうです。これは医療安全の院内講演会に来られた外部講師の方が引用されていた言葉で、とても印象深く残っていますし、感染症やっていてもいつも思うことと同じだなと感じ入りました。どうしてかわからないまま勝つことはある、しかし、いつもどうして勝っているかわからないと余計にどうして負けるかもわからないままだろうと思います。

感染症診療においていうとこれはまさに「診断」のことでしょう。診断Aへの治療が診断Bへの治療を内包することはよくありますから、診断が間違っていたのに治ったということもまたよくあることです。例えば腎機能正常の成人にセフェム1g1日2回で治っている症例などはそういうこと。そのような場合、どうして勝っているのかわからずに勝っているにすぎないにもかかわらず、それで正しいと思ってしまうのが人情なのでしょう。なぜうまくいったのかわかっていないからうまくいかなかった場合にどうしてかがわからない。だからセフェム1g1日2回の何が悪い?っていうような感覚になってしまう。セフェム1g1日2回で治る患者はもっと違う治療(内服抗菌薬、もしかしたら抗菌薬なし[こちらがむしろありがち])でも治るんでしょうね。そう思うから私はこういう用量・用法に対する違和感を持ち続けたいですし、多くの人に持っていてほしいなと思います。

あれは野村前監督の言葉じゃなくって江戸時代の剣術家松浦静山の言葉だよ、っていう突っ込みに対しては「そいつ自身が他の誰かの言葉をパクってないってなぜ言える」と返したいです。突っ込めるのは以前から松浦静山をよく知ってた人だけであって、こういうのは有名にしたもん勝ちですよね。

2010/03/07

2010.3.6 岩手県病院薬剤師会学術講演会(盛岡)で話してきました。

(案内)
タイトルは「MRSA感染症の診療におけるピットフォール」

MRSA感染症を題材にして、やはり正しい診断の大切さについて。病院内感染症の特徴と黄色ブドウ球菌の臨床的な特性を少しでも知れば診断のポイントがわかる、そしてそのポイントの押さえ方を知れば正しい診断ができる、それが最適な治療につながるということ。薬剤をそれが最も大きな効果を持つように使うことが正しい診断に対してもいかに重要なインパクトを与えるか、ということも強調したつもりです。薬剤をそういうふうに使うことはそれくらい大事なことで、でもそれがそのように理解されにくい原因が正しく診断されていないことでもあり、こういうところはループになっちゃっているんだろうと思います。

究極的には、医師はその能力と精力を診断を突き詰めることにめいっぱい注いで治療を選択する、薬剤師は選択された薬剤をもっとも有効に働かせることにめいっぱい能力と精力を注ぐ、ということだろうと。そのプロセスの中または先に必然的に形成されるベストパートナーシップ、それが患者にとってのベストプラクティスってことなんでしょうね。

帰りに司会の先生におすすめの盛岡冷麺のお店に連れて行ってもらいました。ふつうの韓国冷麺じゃん、でしたけど、とてもおいしかったです。

2010/03/05

2010.3.5 第37回集中治療医学会学術集会(広島)にシンポジストとして参加してきました。

集中治療医学会は初めての参加でした。
テーマは「チームで取り組む感染症コントロール」
私は5名の演者のトップで「集中治療室における多剤耐性菌の問題点」というタイトルで話しました。

耐性菌感染の増加が必然である集中治療の領域において、患者予後の向上を真に目指すのであれば、今までの当たり前を本当にそれがベストかと問い直し、もしかしたら少し修正しなければならないかもしれない、もう既にそんな時期が来ているのではないか、というやや重たい感じの話になりました。時間が限られる中まくしたので言いたいことが伝わったか若干心配ではあります。

しかし、いつも思うことは感染症診療・感染制御(この二つは別物と考える向きもありますが、私の頭の中では同一化しています)には改善の余地が大いに残っているということです。ギリギリのところで、我々の医療はもっともっとたくさんの患者を助けることができるはずだ、と楽観的に考えています。

あともう一つ付け加えるならば、我々はプロとしてリアリズムに徹しなければならない、ということです。それがどんなにキツいことでもそのままの現実を厳しくとらえなければその先には行けないと思っています。徹底したリアリズムの中では人は自ずと活路を見いだせるものだという、これまた楽観主義なんですけど。

広島はコート不要の暖かさで面食らいました。3月上旬ってこんなでしたっけ。それとも瀬戸内気候だからですかな。