2010/04/26

2010.4月は大学関連の講義をいくつかこなしました。

2010.4.15は大学の検査医学の講義でした。目的を意識して検査を行い、疾患・病態をイメージしてそれに沿って解釈すること、が強調したいポイントでした。診断ということを突き詰めると診察・検査という小窓からその奥に潜む病態を覗き込むことであり、イマジネーションが足りないと部分(単なる一現象)にしか気づけません。そのイマジネーションの源はそれまで基礎医学系の講義でさんざん学んできた解剖学、生化学、生理学、病理学等々にあり、それらをイマジネーション能力に形作り直すということが、臨床医学のイントロダクションとして必要なことなんでしょう。そんなことが講義をする立場になってわかってくるというのも悲しい現実かなと思いますが。


21日には京都府内の医療系の大学へ。医療安全管理学の講義シリーズの中で職業感染予防対策についての講義をしてきました。
内容は、針刺し事故等の血液曝露による感染の防止についてが中心でした。HBワクチンの存在は大きいものですが、安全装置、針の廃棄、教育、報告、集計、24時間検査体制、などの対策のひとつひとつはおそらくわずかな差しか生じないものと思います。しかし、スライドの準備をしながら、そして当日実際に話しながら、ここらもやはりスイスチーズだとしみじみ思いました。これまでほとんど話したことのない内容でしたのでスムーズに話せるか少し心配だったのですが、病院のシステムとして感染症から守るというコンセプトが普段の感染症診療に関するスタンスと一致していたからだと思いますが、自分としてはかなり気持ちが入っていくのを感じながら話をすることができ、意外な満足感を感じながら終えることができました。

私はかつて自分で作った「誰が押したかわからないスイッチ」というスライドを使って、現場には些細な原因がたくさん転がっていて誰もがそれをついつい押してしまっている、そのどれかが黒ひげ危機一髪のように、耐性菌感染をONしてしまうものだ、と話していました。
これはこれで幾人かから好評ももらい気に入ってもいるスライドなのですが、ちょっと違うとらえ方が必要かもと思うようになってきました。これだと、どれかわからないけどトドメのひとつの存在が仮定としてあることになります。軽重が多少あるかもしれない、その軽重は誰にもわからない、けれども全てが原因だと考えることができなければチーズの穴を小さくしていくための真の意識づけができないんじゃないか、と思い直しているからです。

翌22日は院内のある診療科のモーニングセミナーで感染症診療の基本アプローチについて話をしました。
どの診療科の感染症であっても診療科を問わない感染症と考え方はもちろん一緒で、診断を追求すること、これが治療を必要十分に行うこと、そして耐性菌感染症の予防にもなること、それが診断を追求しつつ開始する経験的治療の成功率を高く保つこととイコールであること。これまでも特定の診療科の医師を主な対象とする講演を何度となく行ってきましたが、感染症において診療科の特異性って一体何なんでしょう。もちろん探せばたくさんありますが、大事なポイントに、補わなければならない現状の不足点に、診療科の区別はやはりないと思います。


その夕方にはドイツから呼吸器学会に合わせて来日しているDr. Meisnerによるプロカルシトニンの講演会があり、私は幸運にも会の前に小一時間直接話をする機会に恵まれました。私は救急・集中医学系の領域での活用にとくに興味があり、彼自身集中治療領域の敗血症の研究者だったというDr. Meisnerも同意見でした。バイオマーカーにはいろいろな限界があるが、それを咀嚼して理解した上で、それでもそれをガイドとして抗菌薬の投与や中止判断を下していく、そのようなプラクティスが必要な領域だということだろうと思います。それだけの覚悟が現場にあるかな、という心配はぬぐいきれませんが、プロカルシトニンを用いて何かをいい方向に変えていく、そんな目的を共有することがまず第一で、それは自分自身の課題でもあるかと思いました。


学会から始まった4月。そのころ満開だった桜の木がすっかり新緑にかわり、街には花水木が開きつつあります。まだ終わっていませんが、身辺の変化もあって駆け足で過ぎて行く日々に追いつこうと必死になってるような感覚です。